>>兼務社とは
 野内 貴船神社
 
               
 鎮座地 青森市野内字鈴森291−2
 御祭神 高おかみ命
 例祭日 8月19日
 境内地 78,740坪
 建物  本殿1坪、幣拝殿30坪
 由緒  当社は、野内字鈴森 鷲尾山に鎮座する。大同2年(807)坂上田村麻呂
      の勧請によると伝えられる。
      文治5年(1189)源義経が衣川の戦いに敗れ、北海道に渡る途中ここで
      海上安全の祈願をしたという。
      三河国矢矧から妻である浄瑠璃姫が義経を慕ってやって来て、めぐりあうこと
      が出来たがこの地で亡くなった。この時看病した義経の家臣鷲尾三郎経春が
      神社の裏の窪地に埋葬したと伝えられる。このあたりは鷲尾と呼ばれ、
      鷲尾山、鷲尾橋にその名が残っている。
      本社は京都鞍馬山に鎮座する貴船神社であるが、源義経は幼少時鞍馬山
      で育ったので、野内に来た時に信仰する京都貴船神社を思い出し、渡海祈願
      をしたという。
      御祭神高おかみ命は、雨乞い、止雨乞いの神として、古代から作物に必要な
      雨を降らし、長雨を止める神として崇敬されてきた。
      弘前藩4代藩主津軽信政公は、領内4社の1つとして深く信仰し、毎年1度
      の藩主公の代拝があった。天候が不順な年にはこの4社へ風雨順調を祈願
      した。その折は御神徳により天候が回復したという。
      明治6年3月村社に列せられ同42年8月27日神饌幣帛料供進を指定される。


 
 矢田 日吉神社
 
               
 鎮座地 青森市野内字山王林65−2
 御祭神 事代主神、大山咋神、大物主神
 例祭日 8月14日
 境内地 5,798坪
 建物  本殿3坪、幣拝殿18坪
 由緒  寛永17年(1640)勧請、明治6年3月宮田村八幡宮に合祀、同8年2月復社。
      大山咋神の勧請鎮座は明らかではないが、一説には天正6戊寅年(1578)
      8月村中(矢田、山王、長森の3村)にて再興し産土神として尊崇、日吉神社
      と尊称した。津軽藩主信牧公は殊に山王宮を御信仰遊ばされ、津軽家の祈願所
      に列せられる。
      然るに(年月不詳)山王宮御分霊を弘前城下田茂木町に移遷し祀ったが、
      社地及び堂宇ともそのまま据置かれてあったので、もとの如く村中鎮守として
      尊崇された。
      明治9年12月村社に列せられ、同40年4月19日神饌幣帛料供進を
      指定される。
      尚、鎮座地は野内であるが、当社は隣の矢田地区の産土神社である。


 
 久栗坂 川上神社
 
               
 鎮座地 青森市久栗坂字浜田669−1
 御祭神 高おかみ神
 例祭日 8月18日
 境内地 594坪
 建物  本殿0.7坪、幣拝殿18坪
 由緒  慶長元年(1596)当村開発の折、田地から発見された観世音像を津軽家
      中野宮一郎兵衛並びに村民が崇敬、観音堂を建立。明治初年神仏分離の
      時、高おかみを勧請し川上神社と改称した。
      初め当社は、村の東南、浜田750番地に社殿を建立したが、明治25年
      9月27日、同浜田669番地共有地へ遷座改築する。
      貞享4年の検地帳には、根井村(久栗坂村の別名)観音堂地二四間に十二間
      とあり、安政2年の書上帖には、久栗坂村に観音堂がみえている。
      明治6年3月村社に列せられ、同42年8月27日神饌幣帛料供進を指定
      される。


 
 小柳 稲荷神社
 
               
 鎮座地 青森市小柳1丁目18−16
 御祭神 稲荷大神
 例祭日 8月20日
 境内地 229坪
 建物  本殿0.4坪、幣拝殿21坪
 由緒  寛永年中 (1624〜44) 岡本七郎左衛門新田開発につき勧請。 延宝7年 
      (1679) 三代兵庫太夫五穀成就、 村中繁栄の為に再建。 その後小柳村中
      にて修復。 貞享4年の検地帳には、 稲荷社地十二間に九間とある。 
      安政2年の書上帖には、 横内組小柳村稲荷宮一宇、 板葺屋根の建坪一尺
      四面の堂社、 萱葺の建坪東西二間南北三間の雨覆、 貞享4年と同じく
      東西十二間南北九間の境内がみえる。 
      明治初期造道村稲荷神社へ合祀され、 後に復社。 同9年12月村社に
      列せらる。 
      平成6年4月28日不審火により拝殿を焼失。 幸い本殿は類焼を免れた。
      直ちに建設委員会を設置し、 氏子の協力のもと、 平成7年8月拝殿を再建した。


 
 幸畑 熊野宮
 
               
 鎮座地 青森市幸畑字谷脇181
 御祭神 伊邪那岐命、伊邪那美命
 例祭日 8月14日
 境内地 2,040坪
 建物  本殿3坪、幣拝殿12坪
 由緒  草創年月不詳、 寛永8年 (1631) 村中安全のため再建。 当初新山宮と
      称していたが、 明治初年神仏混淆廃止後、 仏体を廃し熊野宮と称した。 
      熊野大権現とも新山宮とも呼ばれたようだが、 貞享元年の書上帳には、 
      新山権現宮、 五十間に三十間 (五反歩)、 御宮一間四方、 別当和泉太夫とある。
      貞享4年の検地帳に五間に六間の熊野宮地、五十間に四八間の境内林がある。
      安政2年の書上帖には、 横内組幸畑村新山宮一宇、 東西五六間南北五三間の
      境内がみえる。 
      明治6年3月筒井村稲荷神社と共に横内村大星神社へ合祀、 同8年2月復社
      同9年12月村社に列せらる。


 
 筒井 稲荷神社
 
               
 鎮座地 青森市筒井字八ッ橋116ー3
 御祭神 倉稲魂神
 例祭日 9月10日
 境内地 829坪
 建物  本殿1坪、幣拝殿23坪
 由緒  草創年月不詳、 寛永3年 (1626) 村中繁栄安全を祈り再建。 貞享4年の
      検地帳に、 右近太夫を社司として六間に七間の社地が記される。
      安政2年の神社微細書上帖には、 横内組筒井村稲荷宮一宇、 板葺屋根の
      三尺四面の堂社、 萱葺の三間に一間半の雨覆、 貞享と同じ東西七間南北
      六間の社地の他、 東西十一間南北十三間の境内がみえる。 
      明治6年幸畑村熊野宮と共に横内村大星神社に合祀されるが、 後に復社。 
      平成3年の台風19号では、 境内林の杉35本 (立木の3割強) が倒れる
      大きな被害を受けたが、 その後植林した若木が順調に生育し、 氏子の努力
      により神社の杜が復元されつつある。  


 
 八重田 稲荷神社
 
               
 鎮座地 青森市八重田2丁目6−14
 御祭神 倉稲魂命
 例祭日 8月10日
 境内地 492坪
 建物  本殿0.7坪、幣拝殿12坪
 由緒  宝永2年 (1705) 弘前藩斎藤武兵衛新田開発のため勧請。 以後八重田村中
      にて再建。 村の東端を流れる掘替川は、 功績を偲んで現在も武兵衛川と
      呼ばれる。 城州稲荷本宮 (現在の伏見稲荷大社) から、 奥州津軽外ケ浜
      田舎郡横内組八重田村中村四五衛門宛の 「正一位稲荷大明神安鎮事」 
      という文化元年の古文書が中村家に伝えられており、 京都へ行って神璽
      をうけてきたものと思われる。 
      明治6年3月造道村稲荷神社へ合祀、 同8年2月復社。 同9年12月村社に
      列せられ、 昭和16年8月神饌幣帛料供進を指定される。


 
 三内 八幡宮
 
               
 鎮座地 青森市三内字沢部209
 御祭神 譽田別神
 例祭日 8月14日
 境内地 4,128坪
 建物  本殿1坪、幣拝殿17坪
 由緒  草創年月不詳、 正徳四年 (1714) 五穀成就、 村中安全の為再建。 
      その後村中にて祭祀。 安政2年書上帖には、 油川組三内村八幡宮一宇、 
      板葺屋根の三尺四面の堂社、 萱葺の東西五間南北三間の雨覆、 
      東西五十間南北四十間の境内がみえる。 
      明治6年村社に列せられ、 昭和7年10月神饌幣帛料供進を指定される。 
      神社の南南西約1kmに三内丸山遺跡、 川を隔てて三内沢部遺跡等、 旧石器
      時代後期、 縄文時代及び平安時代後期の遺跡群がある。 このことは古くから
      知られており、 菅江眞澄 「すみかの山」 に土器や土偶のことが書かれている。 
      また、 三内は桜の名所として知られ、 天明年間の 「津軽俗説選」 や 
      「すみかの山」 にもその見事さが記されている。  


 
 三内 稲荷神社
 
               
 鎮座地 青森市三内字丸山37−2
 御祭神 稲荷大神
 例祭日 8月16日
 境内地 555坪
 建物  本殿1坪、幣拝殿18坪、社務所6坪
 由緒  草創年月不詳、 延宝元年 (1673) 五穀成就、 村中繁栄の為村中にて再建。 
      安政2年の書上帖には、 油川組三内村稲荷宮一宇、 板葺屋根の建坪
      三尺四方の堂社、 萱葺の建坪東西五間南北三間の覆、 東西四十間
      南北五四間の境内がみえる。 
      明治6年3月当本村三内村八幡宮へ合祀、 同8年2月復社。 同9年12月
      村社に列せらる。 
      三内の丘陸地には、 神社西南約1kmの三内丸山遺跡や三内沢部遺跡を
      はじめとして、 旧石器時代後期・縄文時代の遺跡や平安後期の住居跡が
      多数存在する。 また、 早くから土器を出土することが知られ、 菅江眞澄 
      「すみかの山」 に記事がみられる。  


 
 浪館 稲荷神社
 
               
 鎮座地 青森市浪館字近野1−1
 御祭神 倉稲魂命
 例祭日 7月10日
 境内地 795坪
 建物  本殿1坪、幣拝殿20坪
 由緒  草創年月不詳、 天明元年 (1781) 浪館村堀仁右衛門村中の五穀成就を
      祈り再建。 その後村中にて産土神として祭祀。 
      明治9年12月村社に列せられ、 同42年8月神饌幣帛料供進を指定される。 
      浪館は江戸時代は主に波館と書き、 明治以後現在の表記となっている。 
      戦国期に屋敷形の城館が存在し、 これが地名の由来という。 
      元禄3年には油川組に属し、 村位は中である。 明治初年の新撰陸奥国誌
      には、 家数43軒。 村家山に倚る、 田多く農を専とす、とある。
      三内丸山遺跡・近野遺跡に接する位置にあり、 神社から山手方面は多数
      の遺跡が存在する。


 
 西田澤八幡宮
 
               
 鎮座地 青森市西田沢字沖津24−5
 御祭神 譽田別尊、高おかみ
 例祭日 7月16日
 境内地 1,210坪
 建物  本殿1坪、幣拝殿17坪
 由緒  草創年月不詳、 寛永10年 (1633) 村中にて再建。 爾来村中産土神として
      尊崇。 安政2年の書上帖には、 油川組田沢村八幡宮一宇、 板葺屋根の
      建坪二間四面の堂社、 萱葺の建坪東西三間南北二間の雨覆、 
      東西五十間南北三十間の社地境内、 東西十九間南北九間の社司屋敷1軒が
      みえる。 
      明治11年平内の田沢村 (現東田沢) と区別する為、 田沢村を西田沢村と
      改称した。 字浜田に油川城跡があり、 城主奥瀬判九郎・同善九郎が居城した
      という。 享和2年 (1802) 伊能忠敬の 「測量日記」 には家数28とある。
      明治初年の新撰陸奥国誌には、 「家数18軒。 古墟あり奥瀬善九郎か
      住せし処なりと云。 善九郎は油川村の城主の由。 古書に見れは、 此の村旧は
      川村の裡にして、 今の油川村比檐の処なりしなるへし」 とある。


 
 合浦 稲荷神社
 
               
 鎮座地 青森市合浦2丁目7−37
 御祭神 倉稲魂神
 例祭日 7月10日
 境内地 670坪
 建物  本殿1坪、幣拝殿26坪、社務所12坪
 由緒  稲荷神社は最も多く祀られている神社で、全国で約3万社あるといわれて
      いる。赤い鳥居に狐の狛犬のある稲荷さまは、民衆にとけこんだ非常に
      親しみのある神さまである。赤色は豊年を象徴する色と伝えられ、狐は稲荷さま
      のご神徳を人々に届け、人々の願いを伝えてくれる神さまのお使いである。
      本社は京都の伏見稲荷大社で、元明天皇の和銅4年(711)2月7日
      初午の日の鎮座と伝えられる。宇迦之御魂神の別名を豊宇気比売神、保食神
      などと申し上げ、伊勢神宮の外宮(豊受大神宮)にも祀られている。
      稲荷さまはもともと農業の神さまであるが、衣食住を始め、商売繁昌の福の神は
      もとより、諸産業の守護神としてあらゆる人々に信仰されている。
      合浦稲荷神社の草創年月は由緒書によれば不詳だが、寛永元年(1624)
      青森開港当時、すでに造道の稲荷林と呼ばれる地に稲荷大明神が建立されて
      いたといわれている(青森市史)。
      社殿脇の小神祠に祀られている、狐が刻まれた正一位稲荷大明神の神石
      には、天保九戊戌年4月(1838)の年号があり、古くから地域氏子の人々の
      厚い信仰が伺われる。
      明治6年村社に列せられ、昭和6年には社殿が新築され現在に至っている。


 
 戸山 斧懸神社
 
               
 鎮座地 青森市戸山字赤坂486
 御祭神 大山祇神
 例祭日 6月12日
 境内地 4,889坪
 建物  本殿1坪、幣拝殿16.8坪
 由緒  建立年月不詳、元文元辰年(1736)戸山村・戸崎村両村安全のため再建。
      一説には延暦20年(801)坂上田村麿が蝦夷征伐の戦勝を祈願し、創建
      したともいわれる。
      安政2年の書上帖には、斧懸明神一宇、本社 栩(くぬぎ)葺二而建坪三尺四面
      拝殿 萱葺二而建坪三間四面、年々四月十二日御神楽執行、とある。
      また、貞享御調之節貝久保村二而御竿入相済候、とみえ、斧懸明神は貞享
      年間(1684〜88)には、戸山村の北にあった支村、貝久保村にあった事が
      わかる。
      戸山・戸崎両町会の産土神であり、明治6年村社に列せらる。
      戸山という村名は、砥石を産したためといわれる。当村の砥取山は砥石を
      産したことで有名であったが、採石すれば荒天を招くと信じられていた。
      菅江真澄は「すみかの山」で「雨ならんとためらひて、ひるよりたちて、
      みちはつかばかりくれば砥山てふ村あり(中略)ここに在る磨砥石は、青砥山
      なる細砥石にもまさりたる麁砥ながら、神のしめたまふところなれば、
      祟たまふをかしこみ掘とらで、よからぬ砥崎のさかひより掘り得るなど、村長の
      いへり」と記している。
      斧懸神社の由来について、菅江真澄は寛政8年(1796)「すみかの山」で
      「斧懸明神といふ神のおましませり。そのゆへをとへば、斧懸の松とて、
      みやしろのかたはらにたてり。むかし、杣山賤、材木こりなんといふとき、まづ
      斧に、みてぐら取添て挂持しとなん」と記し、「花の木をくだすもうしと山賤(やま
      がつ)の  とらでやしばし斧懸の松」という歌を詠んでいる。


 
 桑原 稲荷神社
 
               
 鎮座地 青森市桑原字山崎151
 御祭神 稲荷大神
 例祭日 9月10日
 境内地 1,240坪
 建物  1坪、拝殿12坪
 由緒  安政2年(1855)の書上帖には、稲荷宮一宇、往古建立年月不詳、享保19年
      (1734)より村中で五穀成就の為に再建。
      本社 板葺二而建坪三尺四方、覆 萱葺二而建坪弐間に四間、御神楽の儀は
      三ヶ年に一度執行、と記される。
      貞享4年(1687)の検地帳には、稲荷社地、宮無之とある。
      菅江真澄は「すみかの山」寛政8年(1796)4月20日に「桑原の村になれば、
      鯨森といふに稲荷の神籬あり。むかし鯢(くじらのこ)の寄り来しところに神を
      いはひまつる、飯形の社これなりといふ」と稲荷神社の由来伝承を記している。


 
 飛鳥 羽黒神社
 
               
 鎮座地 青森市飛鳥字岸田88
 御祭神 大山祇神、大己貴神、倉稲魂神
 例祭日 4月18日
 由緒  草創年月不詳、寛永7年(1630)飛鳥村中の安全のため再建、明治9年
      村社に列せらる。
      もとは羽黒権現と称し、安政2年の書上帖には羽黒宮一宇、堂社 屋禰板葺
      二而建坪三尺四面、雨覆 板葺二而東西四間南北三間、社地境内共東西
      六拾間南北五拾間がみえる。
      明治初年の神仏分離に際して、羽黒神社に改めた。
      飛鳥村は明治9年ごろに夏井田村を合併したが、現在羽黒神社は飛鳥・夏井田
      (住居表示はない)両町会の産土神となっている。  


 
 築木館(つきのきだて) 久須志神社
 
               
 鎮座地 青森市築木館字岩瀬
 御祭神 大己貴命 少彦名命
 例祭日 旧4月8日
 由緒  安政2年(1855)の書上帖には、草創年月不詳、明和年中(1764〜72)
      同村の佐次兵衛が再建、村中で維持してきた稲荷宮と薬師堂の相殿一宇、
      本社 板葺二而建坪弐尺四面、覆 萱葺二而建坪弐間に九尺と記されている。
      明治初年の神仏分離に際して久須志神社と改められた。
      築木館は、江戸期までは築野木館または槻館と書いた。
      集落の東方の野内川左岸の丘陵端(字山ノ井)に築木館跡があり、
      「新撰陸奥国誌」には「館迹、本村の寅卯の方弐拾間にあり、今は畑となりて
      形界詳ならず」とある。
      菅江真澄は「すみかの山」の寛政8年(1796)4月20日に「槻木館といふに
      至る。建武のむかし、隅田の小太郎なにがしの柵のあととてあり」と記し、
      南北朝初期の砦跡と伝承する。現在も畑地で「タテの畑」と呼ばれるが、単郭
      の遺構に二重の堀跡や土塁跡が残る。