戸山 斧懸神社
- 鎮座地
- 青森市戸山字赤坂486
- 御祭神
- 大山祇神
- 例祭日
- 6月12日
- 境内地
- 4,889坪
- 建物
- 本殿1坪、幣拝殿16.8坪
- 由緒
- 建立年月不詳、元文元辰年(1736)戸山村・戸崎村両村安全のため再建。
一説には延暦20年(801)坂上田村麿が蝦夷征伐の戦勝を祈願し、創建したともいわれる。
安政2年の書上帖には、斧懸明神一宇、本社 栩(くぬぎ)葺二而建坪三尺四面 拝殿 萱葺二而建坪三間四面、年々四月十二日御神楽執行、とある。
また、貞享御調之節貝久保(かいくぼ)村二而御竿入(みさおいれ)相済候、とみえ、斧懸明神は貞享年間(1684~88)には、戸山村の北にあった支村、貝久保村にあった事がわかる。
戸山・戸崎両町会の産土神であり、明治6年村社に列せらる。
戸山という村名は、砥石を産したためといわれる。当村の砥取山(ととりやま)は砥石を産したことで有名であったが、採石すれば荒天を招くと信じられていた。
菅江真澄は「すみかの山」で「雨ならんとためらひて、ひるよりたちて、みちはつか(道わずか)ばかりくれば砥山てふ村あり(中略)ここに在る磨砥石(みがきといし)は、青砥山(あおとやま)なる細(こま)砥石にもまさりたる麁砥(あちと)ながら、神のしめ(占め)たまふところなれば、祟(たたり)たまふをかしこみ掘とらで、よからぬ砥崎のさかひより掘り得るなど、村長のいへり」と記している。
斧懸神社の由来について、菅江真澄は寛政8年(1796)「すみかの山」で「斧懸明神といふ神のおましませり。そのゆへをとへば、斧懸の松とて、みやしろのかたはらにたてり。むかし、杣山賤(そまやまがつ)、材木こりなんといふとき、まづ斧に、みてぐら取添て挂奉(かけまつり)しとなん」と記し、「花の木をくだすもうし(切ろうというとき)と山賤(やまがつ)の とらでやしばし斧懸の松」という歌を詠んでいる。
その昔から、木こりたちが山に入る時、斧に供物を添えて祈ったという。斧の形の枝を放り「斧懸の松」に掛かった者だけが入山したという説もある。